大和測量ブログ
以前、社員が趣味として楽しんでいる「メダカ倶楽部」を紹介しました。
今回は弊社の社員が共同運営しているサイトの一部である「映像の中の渋谷」を紹介します。
映像資料としての50~60年代日本映画鑑賞のすすめ
1950~60年代、日本映画は年間400~500本、実に1日あたり1本以上の映画が製作され、当時の日本はまさに映画の黄金期にあったと言えます。
これらの映画の中にはいわゆる「プログラムピクチャー」、いわばメインの作品の併映用としてつくられた作品も含まれています。それらの映画は作品としての質は必ずしも高くなく、現在これらの作品を目にすることは、映画愛好家でない限りあまりないのではないでしょうか。
しかし見方を変えれば、こうした映画は高度成長期の日本の風景を記録した貴重な資料ということができます。
主人公の背景に、有楽町の日劇や銀座の森永キャラメルのネオン、船の航行にあわせ開閉する勝鬨橋など消えてしまった風景が記録されているのです。
今回は特に戦後常に変化を遂げてきた渋谷を中心に、そうした例を紹介しましょう。
渋谷は常に変貌を遂げてきました。1945年の空襲で渋谷はいったん焦土と化しますが、1948年~72年には渋谷駅を中心とした約69haの区域で戦災復興土地区画整理事業が行われ、街区が再編されるとともに高速道路の建設や渋谷川の付替えなどドラスティックな都市改造が行われました。
また1968年代の西武百貨店渋谷店の立地を皮切りに、それまでの東急資本による道玄坂方面の開発に加わり西武資本による宇田川町方面の開発が行われ、公園通り一帯の風景を一変させました。
映画の背景に映る風景にはこれらの時々の街の風景の変化が映り込んでいるのです。
いくつか実例を挙げましょう。
「ファンキーハットの快男児」(1961ニュー東映、主演千葉真一) :六本木通り
探偵の千葉真一が殺し屋の潮健児を追い回すシーンで、整備中の六本木通りが映ります。
青山学院の手前で途切れている当時の六本木通りはまだ未舗装で、高速3号線はまだ影もありません。道路敷にはおそらく建設資材などを収納しているのでしょう、木造の小屋が建ち並んでいます。右に東急文化会館のプラネタリウムが、左に1956年建築のマンション「金王高桑ビル」が写っています。
「純愛物語」(1957東映、主演江原真二郎、中原ひとみ) :宮下公園
不良少女中原ひとみが重い病気を宣言された後に向かうのが当時の宮下公園です。
1953年に開設された宮下公園は1966年には駐車場の上の屋上公園となり、2020年にはいわゆる「立体公園」として現在の姿になりました。この映画では、屋上公園になる前の、グラウンドレベルに整備され遊具を備えた、一般の公園と変わらない姿の宮下公園の姿を見ることができます。
「望郷の海」(1962日活、主演小林旭) :渋谷パルコ前
ボクシングのトレーナー小林旭に、パンチドランカーになってしまった郷鍈治が殴りかかるシーンでは、背後に子どもたちが遊ぶアパートが映ります。 画面に映り込んだアパート名には「大成建設渋谷アパート」の表示があり、のちに渋谷パルコになる場所であることがわかります。当時の公園通りはまだ住宅も多い街だったようです。道路工事中なのか歩道に砂が積まれています。
画面に映り込んだアパート名には「大成建設渋谷アパート」の表示があり、のちに渋谷パルコになる場所であることがわかります。当時の公園通りはまだ住宅も多い街だったようです。道路工事中なのか歩道に砂が積まれています。
「泥だらけの青春」(1954日活、主演三國連太郎) :東急東横店
三國連太郎の劇団の同僚乙羽信子の家は現在の道玄坂1丁目付近にあり、その物干し台から建設中の巨大な東急東横店の西館とそこから出てくる銀座線の車両が見えます。
この一帯大和田町に区画整理の波が及ぶのはこれより少し後であり、この当時はまだ木造低層の民家が密集する場所だったことが伺えます。
これらの場所を特定するためには様々な資料を使っています。国土地理院の1/25000地図では個別の建物の特定は不可能なため、有力な資料となるのが1957年以降整備された住宅地図です。また住宅地図が整備される以前の資料としては戦前戦後に整備された「火災保険特殊地図」が役に立ちます。さらに国土地理院の過去の航空写真、過去の風景をまとめた写真集、さらには当時の商工名簿も映り込んでいる建物の場所を特定するのに便利です。
火災保険特殊地図 1955年 道玄坂方面5(現在の渋谷109付近)
個人的にこうした1950~70年代の渋谷のロケ地を特定した成果を、家人と共同でサイトにまとめて公開しています。個人の趣味ではありますが、過去の都市景観に関する資料のインデックスとして貢献できればという思いもあります。ご興味がある向きはどうぞ御覧ください。
「映像の中の渋谷」https://tokyofukubukuro.com/pochi-2/?cat=283
こうしたロケ地の特定を続けていると、断片的な当時の街の姿が位置関係をもって繋がり、あたかも50年代60年代の渋谷を歩いたことがあるような偽の記憶が形成されるのは面白いことです。
渋谷は現在も変貌を続けています。
1954年の映画では建設中であった、鉄道関係者や河川関係者との複雑な調整の成果であろう東急東横店はもはやなく、宮下公園も折々の最新の制度を取り入れつつ全くの変貌を遂げ、東急本店も2027年の高層複合施設化に向けて現在解体中です。さらには2023年、109や背後のホテル街を含む一帯が「街並み再生地区」に指定され、その変化は全域に及ぼうとしています。
現在製作されている映画も、10年後20年後には現在の街並みを記録した貴重な資料となります。未来の人々は映画の中に渋谷ヒカリエや渋谷スクランブルスクエアの姿を見て懐かしさを感じることになるのでしょう。
この趣味が終わりを迎えることはなさそうです。